見えない存在 確証できる感覚

 

 

ジェイホープが苦しみを味わっているなら、無理に作った笑顔で「大丈夫ですよ」と言われるより、涙を流して「辛い」と言われた方が100倍マシだ。苦しいなら苦しいと言って欲しい。でもそれはただの私の願望で、ジェイホープ自身は絶対にそれを望まない。きっと彼は与えられた「J-HOPE」という役割を忠実にこなす。「みんなの希望」という役のまま、世界に立ち続ける。


私にはそれがとても眩しくて、目がぎゅっと痛くなり、視界が真っ白になる。ジェイホープを見ているとき、見ているのだが見えていないことが多々ある。それはきっとこの太陽みたいなジェイホープのせい(おかげ)なんだと思う。私は見えないものを信じられるほど器用ではない。しかしジェイホープはこんな不器用な私に信じさせることができるほどの存在だ。見えない(もしくは見えるはずなのに見えていない)のに、手を差し伸べてくれる感覚と、その手を握ると握り返してくれる感覚。それは決して本当に味わったものでは無いが、音楽、言葉、行動を通して伝わってくる確証の正体が、その「感覚」なのではないだろうか。

 

 

ジェイホープのお誕生日というものすごくおめでたい日に限って、言いたい言葉がパッと思い浮かばない。何かを言えば言おうとするほど喉がぐっと押さえつけられる感覚がし、考えれば考えるほど頭が回らなくなる気がする。大切なことは失って初めて気がつくのと同じで、大事な時ほど自分が信用出来ない。信用できない自分に、大丈夫かもよ、と囁いてくれるのがジェイホプさんである。もちろん、「脳内の」だが。

 


私は私の中にいるジェイホプさんに支えられてきた。ムカつくことがあったら「まぁ、ジェイホプさんいるし…」で済ませる。悲しいことがあったら「ジェイホプさんのこと考えよ」と思考を方向転換させる。バイトのシフトが多すぎると「助けてジェイホプさん!」と悲鳴をあげる。私の拠り所になったジェイホープは、多分本物のJ-HOPEの範疇を超えていて、実際には存在しない私オリジナルの「ジェイホプさん/ジェイホープ」なるものなんだけれども、そこはまぁ、なんというか、大目に見て、許してください。

 

 

 

 

 

 


とにもかくにも今日は本当におめでたい日です。オシャレでカッコよくて歌もダンスもラップも上手くて気配りができて人間性のレベルが高すぎるジェイホープさん、お誕生日おめでとうございます。健康でいてください。美味しい物食べて、沢山寝て、好きなこと全部やってください。それでジェイホプさんが楽しいなら、あたしも幸せです。

 

 

 

 

 

 

 


2022.02.18   ジェイホープのファン  れちより